こちらは東京都世田谷区のホームページです。音声で読み上げる、サイトマップ、携帯サイト、外国人の方へ、文字サイズを変える、標準、拡大、画面と文字の色を変える、白地に黒、黒地に白、青地に黄色、ふりがな、検索する言葉を入力、検索ボタン、検索の注意、もくじ、ホーム、くらしのガイド、お知らせ、イベント、施設、世田谷の魅力、問い合わせ・よくある質問

地名の由来(瀬田・玉川・用賀・上用賀・玉川台)

更新日:平成24年8月26日

ページ番号:0017067

瀬田・玉川

「瀬田」は「瀬戸」がなまったもので、「瀬戸」とは狭小な海峡という字義であった。しかし、海のあるなしにかかわらず、狭い出入口をいうようになり、狭い谷地も「瀬戸」というようになった。「瀬田」「瀬戸」という地名は、狭い海峡のみでなく内陸部の山間や丘陵地等の谷地に多く見られる。多摩川沿岸から台地中の谷の多い相当広い区域を含めて古くは「セト」と呼んでいたものがいつしかなまって「セタ」となったようである。
明治22年、それまでの奥沢・尾山・等々力・下野毛・上野毛・野良田・用賀・瀬田の8村が合併して玉川村が成立し、瀬田村は大字瀬田となった。明治45年、府県境界の変更があり、多摩川右岸にあった区域は神奈川県となった。昭和7年、世田谷区成立時に、玉川村大字瀬田の区域は、丸子川以北が玉川瀬田町となった。また、丸子川以南と大字諏訪河原字向河原をもって玉川町を新設した。その後、昭和43年~46年の住居表示の実施に伴う町区域の変更で、玉川瀬田町は瀬田1~5丁目、玉川町は玉川1~4丁目に区画された。

用賀・上用賀・玉川台

鎌倉時代の初期に勢田郷にユガ(梵語)の道場が開設されて、後にこの地が真福寺の所有する所となったことから、このユガがヨーガになったのではないかと言われている。
明治22年、それまでの奥沢・尾山・等々力・下野毛・上野毛・野良田・用賀・瀬田の8村が合併して玉川村が成立し、用賀村は大字用賀となった。昭和7年世田谷区成立時に玉川用賀町1~3丁目に区画された。昭和43・46年、住居表示の実施に伴う町区域の変更により、上用賀1~6丁目、用賀1~4丁目、玉川台1・2丁目(約4割は玉川瀬田町から)に区画された。

参考 「世田谷の地名」(世田谷区教育委員会、平成元年3月発行)、「世田谷、町村のおいたち」(世田谷区区長室広報課、昭和57年10月1日発行)

このページについてのお問い合わせ先

玉川総合支所地域振興課計画・相談 

電話番号03-3702-1134

ファクシミリ03-3702-0942

(注意)掲載内容に関するお問い合わせについては、回答にお時間をいただく場合や他のお問い合わせ先をご案内する場合があります。

トップページへ戻る

このページのトップへ