地名の由来(駒沢・新町・桜新町・深沢)

最終更新日 令和3年1月12日

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駒沢(3・4丁目)

明治22年、町村制施行時に、上馬引沢村、下馬引沢村、野沢村、弦巻村、世田ヶ谷新町村、深沢村が合併し、駒沢村が成立した。馬引沢の馬を駒とし、それに野沢と深沢の沢をつけて駒沢という地名ができた。大正14年10月、駒沢村が町制を施行し、駒沢町となった。昭和7年世田谷区成立時に駒沢という町名はいったん消え、旧村名が新区の町名となった。昭和42年、住居表示の実施に伴う町区域の変更を行い、旧新町1丁目の北部を駒沢3丁目、同南部を駒沢4丁目とした。

新町

世田ヶ谷村の飛地であった世田ヶ谷村新町が、万治年間(1658年~1660年)分村して世田ヶ谷新町村になった。明治22年の町村制の施行により、他の5村とともに新設の駒沢村に編入され、大字世田ヶ谷新町となった。大正14年、駒沢村が町制を施行し駒沢町となったとき大字新町となり、昭和7年の世田谷区成立時に新町1~3丁目に区画された。昭和42年住居表示の実施に伴う町区域の変更を行い、旧新町2丁目の大部分の区域をもって新しく新町1~3丁目に区画した。

桜新町

大正2年に東京信託株式会社が関東で初めての郊外開発計画として「新町分譲地」を造成した。この道路の両側にソメイヨシノの並木をつくっていて有名になり、玉川電車の停留所もはじめは、「新町」としていたが、後に「桜新町」と改称されたことなどに由来する。
昭和43年、旧新町3丁目の町区域の変更により、桜新町1・2丁目に区画された。

深沢

明治22年、町村制施行時に、上馬引沢村、下馬引沢村、野沢村、弦巻村、世田ヶ谷新町村、深沢村が合併し、駒沢村が成立し、深沢村は駒沢村大字深沢となった。大正14年10月、駒沢村が町制を施行し、駒沢町となった。昭和7年世田谷区成立時に、玉川村大字下野毛飛地字深沢原および大字等々力飛地字高原が加えられ、一部を新町1丁目にうつして、深沢1~4丁目に区分された。昭和42年、住居表示の実施に伴う町区域の変更で、周辺の町との間で境界の整理や一部の編入を行い、深沢1~8丁目に区分した。

参考 「世田谷の地名」(世田谷区教育委員会、平成元年3月発行)、「世田谷、町村のおいたち」(世田谷区区長室広報課、昭和57年10月1日発行)

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