季節の風物詩展示(太子堂地区)

最終更新日 令和5年4月26日

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文化振興部会では、季節に合わせた展示を毎年行っています。

展示の様子をご紹介します。

端午の節句

令和5年度端午の節句の飾りつけ
端午の節句の飾り付け

端午の節句は五節句のひとつで、もともと月の端(初め)の午(うま)の日という意味ですが、午(ご)と五(ご)が同じ音なので毎月5日を指すようになり、やがて5月5日のことになりました。

季節の変わり目であるこの時期に、病気や災厄を避けるための行事がそもそものおこりでした。鎌倉時代になって武士の間で、尚武(しょうぶ=武を尊ぶこと)と菖蒲(しょうぶ)をかけて、菖蒲を飾り、尚武の節日として祝うようになりました。

節句とは、季節の節目において伝統的な年中行事を行う日本文化の風習です。五節句には、端午のほかに、1月7日の人日・七草、3月3日の上巳・桃の節句、7月7日の七夕、9月9日の重陽(ちょうよう)・菊の節句があります。

太子堂出張所の待合スペースでは、五月人形を飾り、皆さんのご健康を祈念しました。

七夕

七夕の飾り付け
七夕の飾り付け

七夕は五節句のひとつで、もともと七夕とはお盆行事の一環でもあり精霊棚とその幡を安置するのが7日の夕方であることから、7日の夕で『七夕』と書いて「たなばた」と発音するようになったと言われています。

日本では明治6年の改暦後、お盆の時期が7月と8月に分かれたことにより、七夕の行われる時期は地域によって7月7日と8月7日に分かれています。

全国的には、葉竹に願い事を書いた短冊が飾られています。

また、天の川を隔てて引き離された織姫と彦星が、年に一度7月7日に会うことができる説話が有名です。しかし、この日に雨が降ると二人は会うことができず、この七夕に降る雨を『催涙雨』(さいるいう)といい、織姫と彦星が流す涙だと伝えられています。

手作りの折り紙を笹の葉にあしらい、夏の食べ物とともに、織姫と彦星の周りを飾りました。色鮮やかに飾りたてることで、とても夏らしく七夕を迎えることができました。

十五夜

十五夜の飾り付け
十五夜の飾り付け

十五夜は、中秋(仲秋)の名月とも呼ばれています。 平安時代に中国から伝わり、貴族たちが月を見ながら詩歌を詠んだのが始まりといわれています。江戸時代になると、多くの人が月見をしたり、団子や枝豆、里芋、栗、柿、すすき等を供えるようになりました。

待合スペースには、お供えや儀式などで用いられる三方(さんぽう)と呼ばれる台の上にだんごを積み、すすきを飾りました。だんごは積み方にこだわり、よりいっそう十五夜の風情を感じさせる風流な趣きを演出し、月見の雰囲気が出張所全体に漂いました。

お正月

お正月の飾り付け
お正月の飾り付け

お正月には、1年の初めである元旦に新しい年の幸福を祈るという意味を込めて多くの行事が行われます。

伝統的な日本のお正月行事は、12月のすす払い、もちつきに始まります。1月には鏡餅を飾り、おせち料理や初詣、年始回りや七草粥、鏡開き、どんど焼きまで、1か月にもわたって正月行事が行われるところもあります

お正月の定番である鏡餅を主役に、後ろには競技用の羽子板、飾り用の鮮やかな羽子板を飾りました。また、鏡餅の両隣には、門松や獅子舞を飾り、お正月らしい飾り付けとなりました。

新しい年の幸先の良いスタートを予感させるようでした。

ひなまつり

ひなまつりの飾り付け
ひなまつりの飾り付け

3月3日はひなまつりです。ひなまつりは、五節句のひとつの「桃の節句」とも言われ、日本の伝統的な年中行事です。各家庭では、ひなあられやひし餅を雛人形にお供えし、女の子の成長を祝います。

ひなまつりは、平安時代に貴族の子女の雅びな「遊びごと」として始まりました。江戸時代には「人形遊び」と「節句の儀式」が結びつき、全国に広まり、雛人形が飾られるようになりました。

待合スペースには、お内裏様とお雛様の雛人形と桃の花を飾り、春が待ち遠しくなるような、たいへん華やかな飾りになりました。

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